立石一真(オムロン)
立石一真(たていしかずま)氏は、東証一部に上場する、オートメーションのリーディングカンパニーであるオムロンを創業した実業家(1900/9/20-1991/1/12)です。熊本県出身で、1921年に兵庫県庁に電機技師として奉職した後、1922年に京都の井上電機製作所に転職し、技術者として8年間働き、その時に米国で開発された「誘導形保護継電器」の国産化開発に取り組んだ際に身につけた技術が後の創業の基礎となりました。
1930年に不況で井上電機製作所が苦境に陥る中、人員整理で希望退職し、京都に「彩光社」を設立してズボンプレスやナイフグラインダなどを製造・販売し、生活費を稼ぎました。1932年に苦しい商いの中、学友の示唆から誘導形保護継電器と油入電流遮断器を組み合わせたレントゲン写真撮影用タイマーを開発し、レントゲン製造会社と長期納入契約ができたことから、1933年に大阪に「立石電機製作所」を創業しました(1948年に立石電機に商号変更)。その後、保護継電器の汎用化や関連製品で事業が拡大し、また戦中・戦後の厳しい時期は何とか乗り越えました。
1952年に一真氏は、新たなマーケットを模索している中、経営者の集まりで「オートメーション」という技術を知り、オートメーションを新しいマーケットとして開発することを決意しました。そして、これを契機に、世界発となるオートメーション機器を次々に世に送り出し、当時、中小企業だった立石電機を急成長させ、技術大国日本を代表する先進企業にしました(立石電機は一真氏が50歳を過ぎてから急成長した)。
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立石一真の基本情報
立石一真氏は、1900年(明治33年)に熊本城に近い熊本市新町で伊万里焼盃を製造販売する立石熊助・エイ夫妻の長男として生まれました。幼い頃は恵まれた生活環境にありましたが、小学校1年生の時に父が亡くなると家業は衰退し、貧しい生活を送りました(母は下宿屋を開業し、一真氏も家を助け、新聞配達を行った)。この時に貧の辛さと働きの大切さを知り、同時に祖母・幸の葉隠精神による躾を受け、戸主(トップ)の責任と自覚、強い独立心が培われました。
1921年に熊本高等工業学校(現:熊本大学工業部)の電気科を卒業し、兵庫県庁に電機技師として奉職し、社会人の第一歩を踏み出しました。1922年に学友の紹介で京都の「井上電機製作所」に転職し、技術者として8年間働き、その時に米国で開発された「誘導形保護継電器」の国産化開発に取り組んだ際に身につけた技術が後の創業の基礎となりました。また、会社員時代には、暇に任せて、ズボンプレスやナイフグラインダ、安全鳥かご、台所用品などの家庭用品を考案していました。
1930年に不況で井上電機製作所が倒産寸前になる中、肥後もっこすの反骨精神も手伝い、人員整理で希望退職しました。この時には、母と妻子がおり、何とかしなければと思い、京都に「彩光社」を設立し、実用新案をとっていたズボンプレスやナイフグラインダなどの家庭用品を製造・販売し、細々と生活費を稼ぎました。事業は中々うまくいかず、借金の抵当で家も競売に付されて失うなど苦難を味わいましたが、一方で販路の確保や取引条件の整備、説明販売、広告などの大切さを身につけました(起業家としては、失敗からスタートした)。
生没 | 1900年9月20日-1991年1月12日(享年90歳) |
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出身 | 熊本県熊本市 |
学歴 | 熊本高等工業学校(現:熊本大学工学部) |
就職 | 兵庫県庁(電機技師)・・・1921年 井上電機製作所(技術者)・・・1922年 |
起業 | 彩光社・・・1930年 立石電機製作所(現:オムロン)・・・1933年 |
著書 | わがベンチャー経営、永遠なれベンチャー精神、立石一真の経営革新塾、人を幸せにする人が幸せになる 他 |
立石一真の事業年表
立石一真氏は、1932年に苦しい商いの中で専門の電機事業への意欲が高まる一方の頃、島津製作所でレントゲン販売をしていた学友の示唆から、誘導形保護継電器と油入電流遮断器を組み合わせた「レントゲン写真撮影用タイマー」を開発しました。試作品を病院に納入したところ、高い評価を受け、紹介してもらったレントゲン製造会社と長期納入契約ができたことから、1933年に大阪に「立石電機製作所(現:オムロン)」を創業しました(1948年に立石電機に商号変更)。
レントゲン写真撮影用タイマーの製造を開始したものの、独占契約で数量としては多くなかったため、開業後しばらくは経営面は厳しく、零細工場という感じでした。そこで、さらなる事業を模索し、配電盤メーカーの必需品である「保護継電器」に目をつけ、汎用品として売り出したところ、大量注文が入り、少種多量生産で事業が軌道に乗りました(継電器メーカーとして知られるようになった)。
第二次世界大戦中は、戦局の激化と共に受注が減少し、また軍需生産も行わなければ事業が維持できなくなり、さらに国の方針で工場疎開も行わなければなりませんでした。終戦後は、大きな需要のあった「電熱器」や「電流制限器」を製造して、一時は作れば作るほど売れるという状況もありましたが、1949年にデフレ政策が断行されたの機に不況に陥り、立石電機も経営危機に陥りました。
会社の再建に乗り出した1950年には、一真氏も含めて総勢33人の規模まで縮小されていましたが、この頃になると産業界に継電器などの生産資材の需要が再燃し、ぼつぼつと注文が舞い込むようになりました。一方で、継電器のマーケットを押さえているのは重電メーカー(大企業)なので、中小企業は末端の需要をかき集めることになり、商売面ではたかが知れており、一真氏は新時代に合ったマーケットを模索し始めていました。
そういった中、1952年に一真氏は、京阪神の能率に熱心な経営者の集まりで「オートメーション」という技術を知りました。この技術で必要なのは制御継電器であり、幸いなことに従来の保護継電器生産の技術と設備でやっていけることから、オートメーションを新しいマーケットとして積極的に開発することを決意しました。そして、これを契機に、立石電機は、無接点近接スイッチ、自動券売機、電子自動信号機、自動改札機、現金自動支払機などを次々に開発して世に送り出し、急成長していきました。
戦後、中小企業から技術先行型企業を目指した立石電機を、オートメーション機器から情報システムメーカーへ大きく飛躍させた一真氏は、1979年に売上高1000億円を達成したのを機に、46年間にわたる社長の座を長男の孝雄氏に譲り、会長に就任しました。また、会長に就任後は、大企業病の一掃という新たな挑戦を指示しました。
20-29歳 | 1930年:彩光社を設立 |
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30-39歳 | 1932年:レントゲン写真撮影用タイマーを開発 1933年:立石電機製作所を創業 |
40-49歳 | 1943年:マイクロスイッチの国産化に成功 1948年:立石電機に商号変更 |
50-59歳 | 1959年:商標をOMRONと制定、社憲制定 1960年:世界初の無接点近接スイッチを開発 |
60-69歳 | 1960年:中央研究所を竣工 1964年:世界初の電子式自動感応式信号機を開発 1967年:世界初の無人駅システムを開発 |
70-79歳 | 1971年:世界初のオンライン現金自動支払機を開発 1972年:日本初の福祉工場であるオムロン太陽を設立 1979年:社長を長男に譲り、会長に就任 |
80-89歳 | 1987年:会長を退き、相談役に就任 1990年:オムロンに商号変更、立石科学技術振興財団を設立 |
立石一真の人物像と言葉
立石一真氏は、在任時、日々経営をする中で、企業は条件整備さえ先行させれば自ら成長するものであると考え、その条件として「(1)経営理念を明確に打ち出す (2)人間の本能的行動に従う (3)本能的行動が企業を伸ばすよう施策目標をつくる (4)働き甲斐のある環境をつくる (5)全員参画のシステムをつくる (6)社会のニーズを素早く捉える (7)常に自主技術の開発に努める」の七つを説き、自ら組織の改革を進めるなど、非常に先進的な経営者でした。
また、その人物像としては、オムロンのサイトの創業者物語によると、「常に新たな機会への挑戦を続けた技術系経営者と言えるだけでなく、社会事業への広い視座、芸術・芸能への深い造詣などを考え合わせると、明治人の気骨を持った前衛人・前衛技術者・前衛企業家とでも言えるかもしれません」と記されています。
・最もよく人を幸福にする人が最もよく幸福となる。
・よく考えて働け。成功する道は人の倍働くことや。
・いつも自分の受け持ちの仕事に打ち込め。功利的な思惑がなくても将来必ず何かに役立つ時がある。
・ダメと決めつけるのはたやすい。しかし、改善の余地ありでなければ、創造の将来はない。「まずやってみる」が我々が築き上げてきた企業文化なのだ。
・企業は生き物で、いつも変化しているので、経営者は常にそれを見守って組織の修正を早手回しにすべきだ。
・行く道には深い川や険しい山がある。自力で越えなければ、それだけの器ということや。
立石一真の関わった「オムロン」
オムロンは、立石一真氏のリーダーシップにより、戦後、独自のセンシング&コントロール技術を主軸とした大手メーカーへと発展しました。現在は、オートメーションのリーディングカンパニーとして、制御機器、電子部品、車載電装部品、社会インフラ、ヘルスケア、環境など多岐に渡る事業を展開しています。また、一真氏が提唱した未来予測理論「SINIC(Seed-Innovation to Need-Impetus Cyclic Evolution)理論」は、同社の経営の羅針盤として、今日でも受け継がれています。
会社名 | オムロン株式会社〔OMRON Corporation〕 |
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創業者 | 立石一真 |
創業 | 1933年5月10日 |
設立 | 1948年5月19日 |
事業内容 | 制御機器・FAシステム、電子部品、車載電装部品、社会システム、健康医療機器・サービス、無停電電源装置・組込みシステム、環境関連機器・ソリューション |
社憲 | われわれの働きで われわれの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう |
上場 | 東証1部、FWB(ドイツ) |