三井孝昭(三井ハイテック)
三井孝昭(みついよしあき)氏は、東証一部に上場する、三井ハイテックを創業した実業家(1921/2/8-2008/7/10)です。1949年に金型製作を行う三井工作所を福岡県に設立し、手仕上げ金型から、熱処理後、総研磨仕上げ金型と、常に金型開発一筋に従事し、一代で技術開発型のグローバル企業を築き上げました。
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三井孝昭の基本情報
三井孝昭氏は、1921年(大正10年)に熊本県八代市に生まれました。子どもの頃からモノづくりが得意で、模型から小さなモーターまで自作したそうです。若くして工場作業に興味を持ち、14歳で安川電機製作所(現:安川電機)に入社し、夜間中学に通いながら金型工として働き、技術や法律などを学びました。
生没 | 1921年2月8日-2008年7月10日(享年87歳) |
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出身 | 熊本県八代市 |
学歴 | 北筑中学校 |
就職 | 安川電機製作所・・・14歳 |
起業 | 三井工作所・・・17歳 |
三井孝昭の事業年表
三井孝昭氏は、18歳直前の1949年1月に福岡県八幡市筒井町(現:福岡県北九州市八幡西区黒崎)において、三井ハイテックの前身である「三井工作所」を創業しました。当初は従業員3名で、民家を改造した6畳ほどのスペースでモーターコア用の金型製作を行う会社としてスタートし、以降、精密加工技術をベースに、工作機械やMACシステム、ICリードフレーム、IC組立、家電用モーターへと事業の裾野を広げていきました。
その中でも、独自に開発したタングステン・カーバイド金型を用いたスタンピング(打ち抜き)によるICリードフレームの生産方法は、従来のフォトエッチング法に代わる大きな技術革新となり、同社を世界的なメーカーへと飛躍させることになりました。
10-19歳 | 1949年:金型製造の三井工作所を創業 |
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20-29歳 | 1950年:自社製平面研削盤1号機を製作 |
30-39歳 | 1954年:熱処理後総研削仕上げ金型1号機を納入 1957年:株式会社三井工作所を設立 1958年:タングステンカーバイド金型を開発 |
40-49歳 | 1969年:ICリードフレームの製造販売を開始 |
50-59歳 | 1974年:超高速金型、MACシステムを開発 1979年:ICリードフレームのめっき事業を開始 |
60-69歳 | 1984年:株式会社三井ハイテックに商号変更 1985年:東京証券取引所第二部に株式を上場 |
70歳- | 1991年:東京証券取引所第一部に株式を上場 |
三井孝昭の人物像と言葉
三井孝昭氏は、持ち前の強靭なチャレンジ精神により、創業以来、長きにわたって、業界の既存概念を打ち破る数々の技術開発を成功に導きました。「進取/努力/徹底」が座右の銘で、また「王道を行けば道は拓ける」が信念で、時流に流されず、常に「何が真実か」を社員に問い続けました。生涯を通して、モノ作りを愛し続け、長年の功績により、1984年に藍綬褒章を受章しました。
・世の中、やってみなければわからないことだらけ。やってみないうちに可能とか不可能とか言ってはいけない。
・できそうもない事をできるようにするからこそ製品が当たる。そこに飛躍のチャンスがある。できない理由を考える前に、できるための方法をとことん考えぬくのが経営だ。
三井孝昭の関わった「三井ハイテック」
三井孝昭氏が一代で築いた「三井ハイテック」は、現在、世界有数の超精密加工技術を持つグローバル企業となっています。この精密加工技術を基にして、プレス用精密金型やモーターコア、工作機械、リードフレームなどを製造・販売しており、国内だけでなく、世界の家電やエレクトロニクス、自動車、産業機械の発展に貢献しています。
なお、社名の「三井」は、創業者の三井孝昭氏の名字から付けられたもので、三井グループとは関係ありません。
会社名 | 株式会社三井ハイテック〔Mitsui High-tec, Inc.〕 |
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創業者 | 三井孝昭 |
創立 | 1949年1月 |
設立 | 1957年4月 |
事業内容 | プレス用精密金型、工作機械、リードフレーム、モーターコアなどの製造・販売 |
社是 | 1.世界の人々に役立つ製品をつくる 2.互恵互善の理念に徹し相互の利益をはかる 3.平等の精神を基本とし働く者の楽園を築く |
上場 | 東証1部、福証 |