黒田善太郎(コクヨ)
黒田善太郎(くろだぜんたろう)氏は、東証一部に上場する、事務用品最大手のコクヨを創業した実業家(1879/2/7-1966/3/27)です。富山県出身で、若き頃から様々な仕事に従事し、和帳の表紙を作る小林表紙店に就職して帳面作りのノウハウを学んだ後、1905年(26歳の時)に独立して「黒田表紙店(現:コクヨ)」を設立しました。
以降、長きにわたって経営に尽力し、紙製品業界のトップ企業に成長させ、また1960年にスチール製品業界に参入するなど、現在、100年超の歴史を誇るコクヨの基盤を確立しました。
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黒田善太郎の基本情報
黒田善太郎氏は、1879年(明治12年)に富山県富山市の七代続いたマッチ製造会社の長男として生まれました。幼少時代、家業は繁盛して何不自由ない生活を送っていましたが、善太郎氏が高等小学校3年の時に父が急逝し、家業は人手に渡りました。どうにか高等小学校は卒業できたものの生活は苦しく、卒業後は雑貨問屋に丁稚奉公に入りました。
20歳になると大阪に出て、マッチ製造会社や乾物屋などで仕事をした後、和帳(和紙を閉じた伝統的な帳面)の表紙を作る「小林表紙店」に就職しました。ここで一通りの仕事を覚え、独自の方法で効率化を図るなど帳面作りのノウハウを取得し、また開業資金を貯め、1905年(26歳の時)に独立して「黒田表紙店」を開業しました。
生没 | 1879年2月7日-1966年3月27日(享年87歳) |
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出身 | 富山県富山市 |
学歴 | 高等小学校 |
就職 | 奉公・就職・・・学校卒業後 |
起業 | 黒田表紙店・・・26歳 |
黒田善太郎の事業年表
黒田善太郎氏は、1905年に大阪市西区南堀江に「黒田表紙店」を開業しました。当初は、和式帳簿の表紙製造だけを問屋から請け負う仕事でしたが、顧客から製品の質が認められて信用を獲得すると共に、表紙だけの製造請負から帳簿と表紙の一貫生産へと徐々に事業を広げていきました。
時代は明治から大正へと変わり、西洋化が大衆の間にも浸透していく中、帳簿も従来の単式簿記から西洋式の複式簿記に移行し、洋式帳簿のニーズが高まりました。このような変化を見越して、1913年に洋式帳簿の販売を開始し、さらに同年、伝票や仕切書、複写簿、便箋などの製造にも着手し、紙製品メーカーとしての形態を次第に整えていきました。
大正半ばには、紙製品メーカーとしての地位を確立し、また製造から流通、販売にいたるネットワーク作りを進め、西日本における地位を確かなものにしました。さらに、関東大震災以後の被災地の窮状を配慮した誠実な対応によって信用を獲得し、関東進出を成功させ、全国区メーカーとして成長することになりました。
昭和に入っても成長は続き、1936年には大阪市東成区大今里に工場を併設した新本社ビルを建設しましたが、その翌年から戦時体制に突入し、苦難の時代を迎えました。終戦では、海外(インドネシア、中国)に設立した会社を放棄しましたが、大阪の本社・工場が奇跡的に無傷であったことから急速に復興を果たしました。
1954年に創業50周年を祝う頃には、戦前の最盛期をはるかに超える、紙製品業界のトップ企業になっていました。そして、1960年にはスチール製品業界へ参入し、その後のオフィス家具メーカーへの道筋をつけることになり、コクヨにとって大きな一歩となりました(1960年に善太郎氏は、社長を退任して会長に就任)。
20-29歳 | 1905年:和式帳簿の表紙を製造する黒田表紙店を開業 1908年:和帳の製造を開始 |
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30-39歳 | 1913年:洋式帳簿の製造を開始 1914年:黒田国光堂に改称、伝票・複写簿・便箋等の製造開始 1917年:商標を「国誉」と定める |
40-49歳 | 1922年:洋式帳簿の自家製本開始 |
50-59歳 | 1932年:色紙付書翰箋を発売 1936年:複写簿の自家生産開始 |
60-69歳 | 1947年:印刷機を購入し、オフセット印刷開始 |
70-79歳 | 1956年:フラットファイルを発売 1957年:専門代理店組織「全国コクヨ会」が発足 |
80歳- | 1959年:測量野帳を発売 1960年:社長を退任して会長に就任 |
黒田善太郎の人物像と言葉
黒田善太郎氏は、「人の役に立つことをしていれば、必ず受け入れられる」という信念をもって事業に打ち込みました。また、現在の社名である「コクヨ」は、1917年に商標とした「国誉」に由来し、善太郎氏が19歳の時、家族や知人に見送られて故郷を後にした時の「国の光、誉(ほまれ)になる」という初心を忘れないよう、自戒の念を込めて命名されたものだそうです(国とは善太郎氏の故郷・越中富山のこと)。
なお、社名については、1914年に「黒田表紙店」が「黒田国光堂」へ改称され、その後、1961年に「コクヨ株式会社」へ改称されて、初めて社名と商標が一致することになりました。
・天職を全うするには人の信を得ることが大切である。人に信を得る最善の道は、自ら誠を以て実行することである。
・商売の利潤というものは、追求するものではない。利潤は、その事業が社会に貢献することによって社会から与えられる報酬である。
黒田善太郎の関わった「コクヨ」
黒田善太郎氏が一代で築いた「コクヨ」は、1905年の創業以来、100年を超えても「商品を通じて世の中の役に立つ」という企業理念が引き継がれ、「クリエイティブ(新たな発見・着眼点を大切にし、創意・工夫に力を注ぎ、徹底してお客様のために考えること)」が常に発揮されています。
現在、コクヨグループは、文具や事務用品を製造・販売する「ステーショナリー関連事業」、オフィス家具や公共家具の製造・販売、オフィス空間構築などを行う「ファニチャー関連事業」、オフィス用品の通販とインテリア・生活雑貨の販売を行う「通販・小売関連事業」から成り立ち、国内だけでなくアジアへも事業展開し、「国の誉」から「アジアの誉」への成長を目指しています。
会社名 | コクヨ株式会社〔KOKUYO Co.,Ltd.〕 |
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創業者 | 黒田善太郎 |
創業 | 1905年10月 |
事業内容 | 文房具の製造・仕入れ・販売、オフィス家具の製造・仕入れ・販売、空間デザイン・コンサルテーション、小売業への店舗什器の販売など |
企業理念 | 商品を通じて世の中の役に立つ |
上場 | 東証1部 |