野澤一郎(巴コーポレーション)

野澤一郎(のざわいちろう)氏は、東証一部に上場する、建設会社の巴組鐵工所(現:巴コーポレーション)を創業した実業家(1888/5/16-1978/5/20)です。栃木県出身で、1917年に巴組鐵工所を東京に設立し、送配電用鉄塔・鉄柱の開発などで成長しました。

1932年に立体構造建築「ダイヤモンドトラス」の発明・実用化で建築業界で注目を浴び、その後も数多くの発明・開発を行って、日本の建築技術の発展に多大な貢献をすると共に、同社を鉄塔から総合建設へと事業を拡大させました。

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野澤一郎の基本情報

野澤一郎氏は、1888年(明治21年)に栃木県上三川町本郷(旧:本郷村東汗)で、父・亀吉、母・ヨシの間に長男として生まれました。父の亀吉は養蚕農家として成功しており、一郎氏は父から養蚕の専門学校へ進むことを勧められましたが、何とか説得して高等工業学校進学の夢を叶えました。

1906年に単身上京し、東京・蔵前の東京高等工業学校(現:東京工業大学)に入学しました。一郎氏は、既に真岡中学5年の時、家業の養蚕の手伝いから「桑扱機器」を考案して実用新案を得ており、若い頃から発明・考案の素質を発揮し、また何か発見がある度に書き留めるなど、常に発明の力を養う努力を怠らず、物事を細心に観察する姿勢を培っていました。

東京高等工業学校を卒業後は千代田瓦斯に入社し、技術者として経験を積んだ後、1917年(29歳の時)に独立し、巴組鐵工所を創設しました。

生没 1888年5月16日-1978年5月20日(享年91歳)
出身 栃木県出身
学歴 東京高等工業学校(現:東京工業大学)
就職 千代田瓦斯・・・22歳
起業 巴組鐵工所・・・29歳

野澤一郎の事業年表

野澤一郎氏は、1917年に東京・芝区琴平町に巴組鐵工所を創立し、京橋区月島に工場を開設しました。また、送配電用鉄塔・鉄柱の国産化に着手し、研究開発、設計・製作上の技術的課題を克服して事業化に成功し、1922年には「巴ポール」を開発して送電線鉄塔関係の特許権を取得しました。

創業以来、送配電用鉄塔・鉄柱の開発などで会社は成長し、1932年に立体構造建築「ダイヤモンドトラス(無柱・無梁・斜交材で大空間を創る画期的な構造)」の発明、1934年に「無足場式骨組方」の開発、1941年には東洋一(当時)の船橋超短波無線塔の納入など多くの実績を残し、またその独創力から建築業界で注目を浴びてきました。

戦後は、1954年にダイヤモンドシェルを開発するなど、総合建設へと事業を拡大させたほか、1948年に日本鉄塔協会を設立し、会長として業界の発展にも貢献しました。

20-29歳 1917年:巴組鐵工所を創立
30-39歳 1922年:送電線鉄塔関係の特許権取得
1923年:合資会社に改組
40-49歳 1932年:ダイヤモンドトラスを発明
1934年:無足場式骨組方を開発
50-59歳 1941年:東洋一(当時)の無線塔を納入
1943年:豊洲工場を建設、生産開始
60歳- 1954年:ダイヤモンドシェルを開発

野澤一郎の人物像

野澤一郎氏は、ビジネスにおいては、発明家で事業家でもあり、またプライベートにおいては、芸術家で信仰者でもあり、さらに故郷においては、栃木県のスポーツ・教育振興に尽力するなど恩を重んじる人だったそうです(晩年は趣味の絵画に没頭し、80歳を過ぎて日展に入選)。なお、長年の功績により、発明協会大賞、恩賜記念賞、藍綬褒章、紫綬褒章などを受賞しています。

野澤一郎の関わった「巴コーポレーション」

野澤一郎氏が1917年に創業した「巴組鐵工所(現:巴コーポレーション)」は、100年超の歴史を誇る建設会社となっており、現在、永年にわたり培ってきた独自技術の開発と集積により、総合建設はもとより、立体構造・鉄塔・橋梁・鉄骨など幅広い分野で豊かな社会の建設のために貢献しています。

会社名 株式会社巴コーポレーション〔TOMOE Corporation〕
創業者 野澤一郎
創業 1917年10月6日
事業内容 鉄構建設事業、不動産業
上場 東証1部、札証

人物の生誕別区分