山本猛夫(山善)
山本猛夫(やまもとたけお)氏は、東証一部に上場する、専門商社の山善を創業した実業家(1921/3/5-1991/6/16)です。福井県出身で、大阪で機械工具商に丁稚奉公などをした後、1947年に「山善工具製販(現:山善)」を創立し、顧客へのサービスを第一に社業を急速に発展させ、取扱商品も工作機械や産業機器、住宅機器などへと拡大させました。
幾たびかの試練や困難に直面しても何とか乗り越え、持って生まれた商売人の勘と交渉力で情報とモノを集め、それをズバ抜けた頭の切れと行動力で儲けの大きなビジネスにし、一代で山善を日本有数の大手機械専門商社へと成長させました。
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山本猛夫の基本情報
山本猛夫氏は、1921年(大正10年)に福井県丹生郡三方村(現:福井県福井市)に生まれました。1935年(14歳の時)に大阪・立売堀の「前田軍治商店(現:TONE)」に丁稚奉公に入り、8年後の1943年(22歳の時)に独立して「大阪工具製作所」を開業しました。
開業時は太平洋戦争の真只中で、半年後に召集令状が届き、やむなく兵役で商売を中断せざるをなくなりました。そして、赴いた戦地・沖縄では、玉砕戦で九死に一生を得て、1946年暮れに生還しました。
生没 | 1921年3月5日-1991年6月16日(享年71歳) |
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出身 | 福井県 |
学歴 | 大阪市立第二商業学校 |
就職 | 前田軍治商店・・・1935年 |
起業 | 大阪工具製作所・・・1943年 山善工具製販(現:山善)・・・1947年 |
著書 | 世の中すべて3・4・3、儲かる企業の経営哲学 |
山本猛夫の事業年表
山本猛夫氏は、1947年(26歳の時)に大阪に「山善工具製販」を創立しました。当時、闇市が賑わうモノ不足の中、品物が豊富で注文通りに揃う店という評判が立ち、すぐに大繁盛しました。その後も商売は順風満帆で従業員も増え、貿易業務も開始し、また1955年には「山善機械器具」に社名変更しました。
創業の10年目頃、1958年に猛夫氏は、周りからは嘲笑されるも会社の上場を口にし始め、商売の規模や形態、営業網の拡充、財務の充実、人材育成や組織準備などを着々と進め、機械工具流通業界で初めて、1962年に大証2部、1963年に東証2部に上場を果たしました。そして、日本経済の高度成長期には「モーレツ社長のモーレツ会社」として注目を集めました。
1960年代後半から1970年代前半にかけては、工作機械や産業機械、工具、住設機器など既存部門の二桁成長と並行して、海外ネットワークも拡充し、さらに不動産やメディカルなど新事業への参入で、売上高はあっという間に1000億円を超えました。1970年には東証1部・大証1部に上場するなど大きく躍進し、また1971年に「山善」に社名変更しました。
1970年後半は、一部上場企業としての体制を整え、不動産事業への積極投資や事業の拡大路線を走り始めるも、まもなくしてドルショックやオイルショックが直撃して、巨額の負債を抱えることになりました。成長企業として注目されていただけに、必要以上の経営危機の噂が立って本業の足を引っ張ることになり、長い茨(再建)の道が始まることになりました。
1980年代後半まで約10年間にわたって、拡大した事業の縮小と生産財・消費財を中心とした本業回帰を行い、少しずつ取引先の信頼回復を図りながら、厳しい経営環境から抜け出しました。また、1980年代後半から1990年代前半にかけては、同じ失敗を繰り返さず、新しい時代に見合う会社の実現に向けて、個々人の能力向上や組織の充実、金融力の強化など大胆な改革を行い、経営の転換を図りました。
なお、1991年に猛夫氏は社長を次男の山本雅俊氏に譲り、会長となりましたが、まもなくして逝去しました(同年、正五位叙位、勲三等瑞宝章受章)。
20-29歳 | 1947年:山善工具製販を設立 |
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30-39歳 | 1955年:山善機械器具に社名変更 |
40-49歳 | 1962年:大証2部に上場 1963年:東証2部に上場 1967年:米国に現地法人を設立 1970年:東証1部・大証1部に上場 |
50-59歳 | 1971年:山善に社名変更 1975年:初の専門展示即売会を開催 |
60-69歳 | 1988年:タイに現地法人を設立 1990年:マレーシアとシンガポールに現地法人 |
70歳- | 1991年:社長退任・会長就任、逝去 |
山本猛夫の人物像と言葉
山本猛夫氏は、不屈の精神の持ち主で「モーやん」の愛称で親しまれ、テレビドラマ「どてらい男(1973年10月-1977年3月)」のモデルにもなりました。日本が大きく躍動していた時代、優れた商才と経営才覚、世の中の流れを的確に見る視野の広さとユニークで積極的な行動が顧客の心をつかみ、異色経営で山善を急成長させました。
・自分を谷底へ突き落とせ、そして自分で這い上がれ。
・知力・体力・努力の三力に磨きをかけろ。
・知恵は体験で生まれる。
・他人から自分の悪いところを指摘されたら礼を言え。
・時間を過ごすのと時間を充実させるのとは大きく異なり、人間の生き方を変える。
・肉体の使用には限界があるが、頭の使用は無限である。
・商売における共存共栄は、対等の立場で堂々と取引することから始まる。
・会社や人にとって重要なのは、現在と未来をどう生きるかである。
山本猛夫の関わった「山善」
山善は、山本猛夫氏が1947年に機械工具商として創業して以来、絶え間なく培われた「切拓く」精神をモットーに、常に新しいビジネスや手法を開拓しています。今日では、「生産財(モノ作りのために使われる工作機械や工場内で使われる周辺機器・工具類)」、「住設建材(住宅設備機器や建材)」、「家庭機器(家具や家電などのアメニティ・生活用品)」の三つの事業分野をコアとする、国内外に100を超える事業所を展開する「専門商社」となっています。
会社名 | 株式会社山善〔YAMAZEN CORPORATION〕 |
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創業者 | 山本猛夫 |
設立 | 1947年5月30日 |
事業内容 | 生産財関連ビジネス、消費財関連ビジネス |
経営理念 | 人づくりの経営-人を活かし、自業員を育成する 切拓く経営-革新と創造に挑戦する 頼の経営-期待に応え、社会に貢献する |
上場 | 東証1部 |